『人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり』武田信玄の名言・言葉の意味【企業経営・人材育成に】
武田信玄の名言「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」の言葉の意味を紹介します。
この記事でわかること
- 武田信玄という人物について
- 「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」の言葉の意味
- 企業経営・人材育成によく使われる言葉です
- 武田信玄は城を築かなかった、ということでない
個人でも、組織でも、人は大切にすべきです。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」戦国武将・武田信玄の名言
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」
戦国武将・武田信玄の名言
よく「人は城、人は石垣、人は堀」の前半部分が使われますが「情けは味方、仇は敵なり」が後に続きます。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」の言葉の意味
「城」は、敵を防ぐために築かれる建物。
「石垣」は、敵が簡単に入ってこれないように石を組み上げて作られた壁や柵。
「堀」は、敵から城を守るために城の周りを掘って水を張った溝。
「人は城、人は石垣、人は堀」の意味
「人は城、人は石垣、人は堀」をそのまま解釈すると「人間こそが強固な守りとなる」という意味になります。
勝負において、人の働きの大切さを表した言葉です。
「情けは味方、仇は敵なり」の意味
「情けは味方、仇は敵なり」は、「情けをかけた人は味方になり、仇を持った人は敵となる」という意味になります。
人との関係の大切さを表しています。
情けとは?
「情け」とは、思いやり・いたわる心のことです。
1 人間味のある心。他人をいたわる心。人情。情愛。思いやり。「武士の情け」「浮き世の情け」→御情(おなさ)け
2 男女の情愛。恋情。また、情事。いろごと。「深情け」「薄情け」
3 風情。おもむき。あじわい。「落花啼鳥の―も心に浮かばぬ」〈漱石・草枕〉
4 もののあわれを知る心。風雅を解する心。風流心。「―ある人にて、かめに花をさせり」〈伊勢・一〇一〉
情報源: 情けとは - コトバンク
仇とは?
「仇(あだ)」とは恨みや危害のことです。
《室町時代までは「あた」》1 仕返しをしようと思う相手。敵。かたき。「親の―を討つ」
2 恨みに思って仕返しをすること。また、その恨み。「恩を―で返す」
3 害をなすもの。危害。「親切のつもりが―となる」
4 攻めてくる敵兵。侵入してくる外敵。「しらぬひ筑紫(つくし)の国は―守る押への城(き)そと」〈万・四三三一〉
情報源: 仇とは - コトバンク
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」の意味
以上を踏まえて「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」の言葉の意味をまとめると、
ということになります。
企業経営・人材育成によく使われる言葉でもある
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」は企業経営や人材育成、組織のマネジメントにおいてよく使われる言葉です。
人が大勢いれば良いということではありません。
戦国時代の大名のお城は、城・石垣・堀がセットで作られています。
「人は城、人は石垣、人は堀」は、「人を大切にし、人を育て、その人たちが協力することが重要」だと教えてくれます。
そして、
「情けは味方」は「いたわりの心や思いやりを持って接し、信頼した人は味方になってくれる」ということを教えてくれます。
これは、現在の企業や集団の中でも言えることでしょう。
「仇は敵なり」は「恨みや危害を与えた人は敵となる」ということです。
恨みや不満を持った人は、その企業や組織・集団に味方はしてくれなくなります。
力になってくれませんし、敵対するかもしれません。
企業経営や人材育成において「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」は、忘れてならない事なのです。
武田信玄は城を築かなかった、ということではありません
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」の言葉から考えると、「武田信玄は城を造らなかったのか」と思う人もいますが、これは誤解です。
武田信玄の拠点は、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)です。
信玄の拠点は「城」ではありません。
ですが、領内に「最前線基地としての城」や「国境を守る城」を築いています。
信濃に侵攻した際は、奪った城は改築しています。
武田信玄が築いた城は「武田流築城術」と分類される優れた城です。
武田流築城術の特徴として「丸馬出」と三日月堀が挙げられます。
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」の言葉は、武田信玄が何よりも「人材」を重んじた武将であることを表しています。
戦国武将・武田信玄について
言葉の意味の後に、武田信玄について紹介しておきます。
武田信玄は「戦国最強」と言う人もいる戦国時代の武将です。
✪ 武田信玄『信玄』の名は出家後の法名で、名は晴信(はるのぶ)。
✪ 甲斐源氏の嫡流である甲斐武田家第19代当主で、正式な姓名は「源晴信」(みなもとのはるのぶ)です。
✪ 甲斐国(現在の山梨)を統一し、周辺の信濃・駿河、遠江、三河なども領地としていました。
越後の上杉謙信との川中島の戦いも有名ですね。
武田信玄は何よりも「人材」を重んじた武将で、家臣を適材適所に配置し、強い信頼関係を築いていました。
1573年(元亀4年)、西上作戦の途中で病気が悪化、甲斐国へ撤退する途中に信濃で亡くなりました。
享年53。
織田信長も恐れたという武田信玄。歴史に「たられば」は禁物ですが、武田信玄がもっと長生きしていたら、日本の歴史は違ったものとなっていたのかもしれません。
武田信玄といえば、「風林火山」の旗印を掲げていたことでも知られています。
風林火山は『孫子の兵法』の一節であり、武田信玄は『孫子の兵法』を好んで読んでいたと言われています。
最後に
今回は、武田信玄の言葉「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」を紹介しました。
✪『人を大事にして育てること』
✪『いたわりの心・思いやり・信頼すること』
の大切さを改めて感じる言葉です。
企業を経営する人・リーダーとなる人・チームを引っ張る立場の人の方は、武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」という言葉を覚えていてほしいと思います。
人を育てるのは時間もかかるし、労力も必要、簡単ではありません。
しかし、大きく育った社員はその企業や組織にとって大きな力となり、ピンチのときには守ってくれる存在となるでしょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません