平成→令和へ。元号が変わることに寂しさを感じる

2019年4月18日

平成が終わることになんとなく寂しさを感じます。

2019年5月1日から元号が「令和」に変わります。

いよいよ平成も終わり。令和元年が始まります。

が、なんとなく寂しさを感じています。

お別れの手を振るカエルの画像

寂しさを感じているのだけれど、なぜ寂しさを感じているのだろう?と自分の感覚に疑問を持ちます。
元号が令和に変わることにお祝いムードだってあるっていうのに…。

令和カモンッ フーーー!!!

という盛り上がる感じは自分の中には全くないのです。

平成が終わる。慣れ親しんだ元号が変わる。

何かが終わるということに寂しさを感じているだけなのか?

「終わり」ということ。そして「慣れ親しんだことが変わる」ということに寂しさを感じているのかもしれない。

ただ「終わり」ということで、なんとなく寂しさを感じているだけかもしれない。

さよなら平成の「さよなら」に反応して寂しくなってるだけかもしれない。

終わり・さよなら・お別れ…そんな言葉にただ悲しい気持ちを感じているだけなのだろうか。

平成が終わって令和になったとき、自分の生活はなにか変わるのか?

元号が令和に変わることが自分の生活に影響をもたらすのかと言えば、答えは「No」。

 

5月1日を迎えても、何も変わりません。

 

誰かとお別れするわけではないし、引っ越すわけでもないし、なーんにも変わりません。

生活はなんにも変わらないのに、「終わり・さよなら・お別れ」ということでなんとなく寂しさを感じているだけ。

平成が終わるということで、小学生のときに昭和から平成に元号が変わったことを思い出し、そこから学生時代や20代のころといった昔のことを思い返して、センチメンタルな感じになったことも寂しさを感じている理由の一つかな。

嫁さんは元号が変わることに対してなーんにも思うことはなく、「ただ元号が変わるだけ」としか考えていないみたい。

意外とそんなモノなんだねぇ。

なんだろ、性格的なモノなのかな?寂しさを感じちゃっているのは…。